1800年代後半、アメリカが大英帝国に迫る超大国として台頭してくると、レスリング界では、ヨーロッパの強豪レスラーたちがアメリカに集うようになりました。
エドウィン・ビビーやジョー・アクトンらランカシャーのトップレスラーたちも、新天地に戦いの場を求めました。 彼らの活躍により、グレコローマンスタイルなどが主流であったアメリカでも、ランカシャースタイルの“キャッチ・アズ・キャッチ・キャン”が普及していきました。
これら同時代に開催された2つの大きなイベントが、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの歴史的分岐点となりました。 以後、オリンピックのレスリングは、アマチュアスポーツとしてふさわしい形へと発展していき、プロのレスリングは、興行スポーツとして確立していきました。